みんなの知らない玉川学園を探索! 玉クルーズ

  • #トリビア
  • #施設
  • #玉CRUISE
  • #発見
  • #開発秘話

CRUISE No.6
なぜ咸宜園がここに!

取材クルーザーかんたまる

玉川学園の丘。礼拝堂に上がる階段の途中、左手にあらわれる江戸時代の学び舎「咸宜園(かんぎえん)」。咸宜園を知る人は、「ここ、玉川だよね?」と首をかしげます。でも、この建物がここにある理由を知った瞬間、景色が一変します。

咸宜園は、江戸時代の豊後(現在の大分県)日田にあった“すべての人に開かれた”私塾。身分も出身も関係なく、学びたい人ならだれでも歓迎するという、当時としては革命的な教育の場でした。

この精神に強く共鳴していたのが、玉川学園の創立者 小原國芳。
彼は「自由・自律・共同体」の学びを重んじ、咸宜園を“日本の理想的な学びの原風景”として深く尊敬していたのです。だからこそ、玉川のキャンパスに咸宜園を再現することは、國芳先生の教育観を形にする特別な意味を持っていました。

1960年代、その思いを受け取った玉川大学の学生たちは、なんと自分たちの手で咸宜園をつくることを決意。日田に通って実測し、設計し、丘を切り開き、材を運び、釘を打つ……。まさに汗と情熱の総力戦。1969年、ついに学生達の力で咸宜園が完成しました。

本来の咸宜園は茅葺き屋根でしたが、火災等安全性の観点から現在は茅葺き風の瓦屋根に。外観の雰囲気はそのままに、安心して学べる現代仕様になっています。

いま咸宜園に立つと、三つの時代が重なって見えます。

江戸で学びに燃えた若者たち。
昭和で建設に没頭した玉川の学生たち。
そして令和の私たち。

すべてが一本の線でつながっている
ーそう思うと、胸がじんわり熱くなりませんか?

おすすめの玉クルーザー取材記事